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続・日本100名城訪問記 その34(大垣城 2022/7/24)

続・日本100名城、34番目の訪問は岐阜県大垣市にある大垣城である。

2日かけて岐阜の続・100名城を周ったがこの大垣城が最後の城となる。

大垣城は戦国時代になり、尾張美濃の争奪戦の最前線となり、織田氏と斎
藤氏の間で支配権が移り変わったが、斎藤氏時代の最後の城主だった美濃
三人衆の一人氏家卜全が1567年の稲葉山城攻めに内応し、以後は織田氏の
城となる。

大垣城へは、大垣駅から徒歩10分もかからないところにある。
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大垣市の人口は156千人と岐阜県では県庁所在地の岐阜市についで大きく
駅前もそこそこ栄えている。
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大垣駅はコロナ前までは東京駅から「ムーンライトながら」という夜行列車
が出ており、青春18きっぷで旅する場合の、西日本とのつなぎの駅として活
躍したが、コロナのせいで見直しされ2020/3/29が最後の運行日となり、その
後廃止が発表された。

青春18きっぷをもっと昔から活用していれば、直行で大垣まで来れたのに
残念である。

大通りに面した商店街はシャッターが閉まっており、日曜日の夕方にして
は少し寂しかった。
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そうこうしているうちに大垣城の門に到着。
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大垣城はいまでこそ大垣市の指定史跡と価値が下がってしまったが、戦前
は、明治時代の廃城令を免れ、天守などが国宝に指定されていた。

しかし、昭和20年7月29日、無情な米軍の大垣空襲により焼失してしまった。
戦争があと3週間早く終わっていたらこの大垣城は現存13天守として、今
も残っていたのだろうと思うと残念である。
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天守閣。再建天守となる。
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入り口でスタンプを押し、入場料200円を払って中に入る。
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槍。
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甲冑。
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火縄銃。
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国宝時代の大垣城。
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おあむ?誰やねんと思って調べてみると石田三成の家臣であった山田去暦
の娘である。
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関ケ原の戦いで西軍が破れた際、大垣城で経験したことを、子供たちに語っ
た筆録が残っておりこれが、武家の暮らしを女性の立場から描写した貴重な
資料として残っている。

大垣城の女たちは、火縄銃の弾を作ったり、味方が討ち取った敵将の首に
札をつけて天守に並べ、毎夜これに鉄漿(おはぐろ)をつける作業をして
いたという。

討ち取った武将の身分を高く見せるために生首ロンダリングをしていたと
いうのである。

あとは、目の前で14歳になる弟が鉄砲で撃たれて死んだり、明日は落城
という日に桶を船にして脱出したりと、壮絶な人生が語られているという。

大垣城を舞台にした、関ケ原の戦いの前哨戦、大垣城の戦いのジオラマ。
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城では大垣城のおあむを題材にしたアニメが上映されていた。
これがYoutubeで「おあむ物語」と検索しても見ることができる。
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こちらはおあむ物語に続き、大垣氏がプロデュースするアニメの第2弾。
おあむ物語のアニメで現代のヒロインのあんが、今度は50年後である
2068年にタイムスリップし、未来の大垣市で将来変わるところ、これか
らも変わらないところ(昔からの伝統として受け継ぐもの)が紹介され
たアニメになっている。
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4Fにあがる。
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天守閣からの大垣の街の風景。
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大垣城
別名麋城、巨鹿城
城郭構造連郭輪郭複合式平城
天守構造
望楼型(1594年築)
複合式層塔型3重4階(1620年改)
(RC造外観復元・1959年再)
築城主伝・竹腰尚綱
築城年伝・明応9年(1500年)
主な改修者氏家直元、伊藤祐盛
主な城主竹腰氏、氏家氏、伊藤氏、岡部氏、久松松平氏、戸田氏
廃城年明治4年(1871年)
遺構曲輪・石垣
指定文化財大垣市指定史跡
再建造物天守・乾櫓・艮櫓(外観復元)・門
位置岐阜県大垣市(北緯35度21分43.12秒 東経136度36分57.86秒)
交通手段JR東海道本線「大垣」駅南口から徒歩約7分
スタンプ大垣城天守内(9:00~17:00 年末年始休)



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[ 2022年10月21日 04:00 ] 岐阜県 | TB(-) | CM(0)

続・日本100名城訪問記 その33(美濃金山城 2022/7/24)

続・日本100名城、33番目の訪問は岐阜県可児市にある美濃金山城である。

この美濃金山城は、1537年に斎藤正義により築城された。

斎藤正義というのは、その姉が斎藤道三の愛妾になったことが縁で、道三
の養子になり武功を挙げた武将で、この金山城が築城され当時は烏峰城と
呼ばれた。

この正義は酒宴の席で配下に謀殺されるが、この配下の武将が正義を討ち
取ったあと、金山城の城主にならず、道三が城主になったこと、また、
道三も正義が討ち取られても報復しなかったことから、道三の仕業ではな
いかという説もあるらしい。

その後、道三も息子の斎藤義龍に長良川で討ち取られ、その後、義龍を討
ち取った信長の配下森可成が城主となり、その後森蘭丸が城主になったと
いう。


明智駅で降りる。斎藤氏の城の近くの駅なのに明智駅という。
また、可児市ということで可児才蔵ゆかりの地ということもあり、斎藤氏
や織田氏と結びつきのある地域だったことが想像される。
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駅を降りるとバス停があり、YAOバスで近くまで行けると調べてはいたが
バスの頻度までは確認しておらず、次の便が1時間以上先になるということ
なので歩いたほうが早く着くので歩くことにした。
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この辺は中山道の宿場町があったこともあり、車の往来が激しい道を行っ
たが、金山城の近くまで来ると閑散とした場所に出てくることができる。
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可児市観光交流館に到着。
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この交流館の前にスタンプが設置されており、中に入らなくてもスタンプ
が押せる。
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無料だけあり、レプリカの甲冑など資料として価値があるののはなかった。
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対して、隣にある戦国山城ミュージアムについては、この金山城のことが
詳しく解説されており、有料ではあるがこちらにも入ることをお勧めする。
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金山城のジオラマ。
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戦国ミュージアムで調査をし終わると金山城に向かった。
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道はあるが奥まったところにあり、人気もなくちょっとこわい。
この日の前日雨も降っており、帰りに舗装された道に生えた苔に滑って
しりもちを打ってしまった。
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5分ほど歩くと登場口に到着。
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本丸まで35分。
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道は整備されていて、続・100名城にありがちな乱れた道ではなかった。
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中腹。
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さらに上に行く。夏なので汗びたしである。
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この金山城は古城山と言われ、江戸時代には尾張藩のお留山、明治時代に
は皇室の御料林、戦後に国有林ということで、ずっと入山できなかった
のだが払い下げが1953年に行われ一般人が入れるようになった。
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これは地元住民の念願だったようで、払い下げの直後記念碑が建てられた。
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本丸に到着。一般人が長年入ってなかったこともあり、遺構はかなり残って
おり、石垣とか建物の跡が残っているだけでなく陶茶器も残っており茶室
があったのではないかと推測され、森可成が重臣だったことを伺わせる。
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天守の遺構。
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今年の目標が続・100名城のうち15制覇するという話でやってきたが、振り
返ってみるとこの金山城に上った時点で27城もまわってしまった。

ちなみに今日10/17に行く愛媛の河後森城で39城ということで、11月には
宮崎・鹿児島にも行くし、さらにちょっと頑張って残りの休日で埼玉の
続・100名城にも回れば、目標のトリプルスコアになりそうである。

城に興味のない人にとっては、ただの同じような山の登山記録でしかない
が、歴史的背景を知ってそれを思いながら歩いたり、このようにブログに
しようとすると嘘っぱちを書くわけにもいかず、ある程度正しそうな資料
をあたって勉強したりすることになり、これが教養を深めることになり
なかなか楽しいのである。

美濃金山城
別名兼山城、烏峰城、烏ヶ峰城
城郭構造梯郭式山城
天守構造複合式層塔型2重2階・非現存
築城主斎藤正義
築城年天文6年(1537年)
主な改修者斎藤正義
主な城主斉藤氏、森氏、石川氏
廃城年慶長5年(1600年)
遺構移築門、石垣、土塁、堀、井戸跡、石碑
指定文化財国の史跡
再建造物
なし
位置岐阜県可児市(北緯35度27分23.93秒 東経137度5分50.34秒)
交通手段名古屋鉄道広見線「明智」駅からYAOバスで約15分「城戸坂」下車徒歩15分(「明智」駅から徒歩だと40分)
スタンプ可児市観光交流館(8:30~22:00。年末年始休)



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[ 2022年10月17日 04:00 ] 岐阜県 | TB(-) | CM(0)

続・日本100名城訪問記 その32(郡上八幡城 2022/7/24)

続・日本100名城、32番目の訪問は岐阜県郡上八幡市にある郡上八幡城である。

郡上八幡と書いても、「ぐじょうはちまん」とはなかなか読めないのだが、
ぐじょうはちまんという単語を聞くと、昭和の山村美紗サスペンス劇場を
思い出してしまう。

郡上八幡城は、これも先日記事にした苗木城と同じく戦国時代には遠山氏
が支配していたが、羽柴秀吉と対立する織田信孝の傘下に属していたため
追放され、稲葉一鉄の息子が城主となった。

その後、遠山氏は関ケ原の戦いで東軍につき、軍功を認められたため、
再び城主に返り咲き、その後、江戸時代の配置換えで、井上氏、金森氏
青山氏と城主が移った。

郡上八幡城へは、長良川鉄道で郡上八幡駅まで行く。
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先ほどの駅票とは違い、入り口は観光地風に整備されている。
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城下町の風景。
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この郡上八幡の城下町は承応の城下町大化により一度失われたが、
用水路の整備などを通し、火災に強い城下町として再生された。
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商店街も昭和を思い起こさせる。
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川の向こうにある山に小さく郡上八幡城の店主が見える。
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見えにくかったのでちょっと望遠で。
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城の麓の案内図を確認。
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山内一豊より有名な、「山内一豊の妻」はこの郡上八幡城の城主の遠山氏
の子女だったのでこのように入り口にも像がある。
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城は高台にあり、くねくね道を歩かなければならないがショートカットも
できる。
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ときどき、くねくね道を通らなければならない。
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最終コーナーの一歩手前。
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郡上八幡城。立派な建物であるが、昭和8年に再建されたということで、
再建天守の中では日本一古い城となっている。
いろんな言い回しをするのだなと思った。
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入場券を買って中に入る。
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スタンプは城の中に入らなければ押せない。つまり入場料320円が必要である。
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再建天守ということで、現存天守とは違い階段も緩やかで上りやすい。
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甲冑。
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山内一豊の妻。自分のへそくりを使って夫の欲しがった名馬を買い
主君織田信長の馬揃えの際の信長の目に留まりそれが元で加増され
たということで、太平洋戦争以前の日本で賢妻のモデルとして、
高等女学校の教育に採用されたという。
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天守からの風景。
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この妻の話は昭和の中期ごろは複数の番組でドラマにもなり、2006年の
大河ドラマでは、当時人気絶頂の仲間由紀恵がこの役を演じた。

仲間由紀恵がヒロインの頃はまだ共働き世帯と専業主婦世帯に大きな開き
はなかったが、令和の世、専業主婦世帯は31%、共働き世帯は69%(*)と倍
以上の共働き世帯になったいま、夫を支える妻というのは時代に合わないし、
また戦国フリークは一定数いるが、人気が出るのは淀殿とかお市といった
主張する女性や、悲劇のヒロイン(細川ガラシャとか)であり、夫を支え
る妻の話は受けが悪いのかあまり聞くことはない

(*)出所:独立行政法人労働政策研究・研修機構「早わかりグラフでみる長期統計」
https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/timeseries/html/g0212.html

郡上八幡城
別名八幡城、積翠城、郡城、虞城
城郭構造平山城
天守構造なし
独立式層塔型4層5階(昭和8年、1933年木造模擬)
築城主 遠藤盛数
築城主遠藤盛数
築城年1559年(永禄2年)
主な改修者遠藤常友
主な城主遠藤氏、稲葉氏、井上氏、金森氏、青山氏
廃城年明治2年(1869年)
遺構曲輪・石垣
指定文化財岐阜県史跡
郡上市有形文化財(模擬天守)
再建造物
模擬天守
  建面積118.98㎡(35.99坪)
  延面積309.11㎡(93.5坪)
  高さ17.18m
隅櫓
  建面積22.09㎡(6.68坪)
  延面積22.09㎡(6.68坪)
  高さ3.72m
正門・塀
位置岐阜県郡上八幡市(北緯35度44分55秒 東経136度57分52秒)
交通手段長良川鉄道「郡上八幡」駅から市街地循環バスで約20分「城下町プラザ」下車徒歩約15分
スタンプ郡上八幡城1階(9月~5月は9:00~17:00(11月~2月は16:30まで)、6月~8月は8:00~18:00。12月20日~1月10日



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[ 2022年10月13日 04:00 ] 岐阜県 | TB(-) | CM(0)

続・日本100名城訪問記 その31(苗木城 2022/7/23)

続・日本100名城、31番目の訪問は岐阜県中津川市にある苗木城である。

この城は、他で見る平城や山城とは違い、独特な城となっている。

この苗木城は遠山氏という家の城である。

遠山というと、遠山の金さんを思い出すのだが、遠山の金さんのモデルと
なった遠山景元は江戸時代の旗本で、旗本というのは江戸時代に将軍に
直接拝謁できる資格のことを言う。

その遠山の金さんの祖は明智遠山氏といい、この苗木城は苗木遠山氏
の城となる。

もう一つ岩村遠山氏という家もあるが、いずれにせよ遠山氏といえば
岐阜一帯にルーツを持っている。

苗木城は岐阜県中津川市の中津川駅が最寄りになる。
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苗木城には駅からバスが出ているのだが、田舎のバスは本数も限られて
おり、タクシーで行くのが一番良いと、タクシーを拾うことにした。
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続・100名城の城に行くには交通機関がいまいち便利ではなくタクシーの
お世話になることが多い。
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苗木城のガイダンス施設の近くで下してもらう。
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遠山苗木資料館の玄関で手指の消毒をするがその隣にスタンプが置いて
ある。
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スタンプを押す。
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遠山氏の鎧や
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火縄銃が展示されていた。
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資料館を出て苗木城に向かう途中、苗木城が見えてきた。
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確かにこの城は独特の様相を呈しており、天空の城とも称されるが、
野武士とか山賊のねぐらみたいな雰囲気でなかなかよい。
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苗木城に向かう途中、下の方に城の台のように人工的な広間みたいな
が所があった。
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これが城の上部。
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見晴台があるので上ってみた。
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見晴らし台からの木曽川の風景。
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苗木城へのアクセスはタクシーを利用したが、こういう辺鄙なところに
来ると帰りが大変である。

駅まで1時間半ぐらいかかったのだが、舗装された道を、木曽の風景を
楽しみながら歩けるので、晴れていれば歩いてみるのも良いのではない
だろうか。

苗木城
別名霞ヶ城、赤壁城
城郭構造山城
天守構造不明
築城主遠山正廉
築城年天文年間(1532年~1555年)
主な改修者
主な城主遠山氏、森氏、川尻氏
廃城年明治4年(1871年)
遺構石垣、堀、井戸、門部材
指定文化財国の史跡
再建造物天守建物(柱組)
位置岐阜県中津川市(北緯35度30分47.52秒 東経137度29分6.94秒)
交通手段JR中央本線「中津川」駅から北恵那交通バス「付知峡倉屋温泉」行きまたは「加子母総合事務所」行きで約15分「苗木」下車徒歩約20分
スタンプ中津川市苗木遠山資料館(9:30~17:00※入館は16:30まで月曜日、[祝日の場合は翌日]、年末年始休)



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[ 2022年10月07日 04:00 ] 岐阜県 | TB(-) | CM(0)

2022年岐阜旅行記

先月の7/23、7/24は青春18きっぷを使って岐阜の続・100名城のうち4城を
周ってきた。

岐阜には100名城というのもあり、これについては5年前のゴールデンウィーク
に周ったのだが、その後、続・100名城という企画ができてしまったので、再び
岐阜の地を踏んだわけである。

岐阜県って関東に住んでいる人間にとってあまり馴染みのない土地ではある
のだが、続・100名城を通して岐阜の魅力に触れることができる旅だった。

2022年岐阜旅行記
https://yama219.jp/domestictrip/202207Gifu/index.htm




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[ 2022年08月20日 04:00 ] 岐阜県 | TB(-) | CM(0)

日本100名城訪問記 その35(岩村城 2017/05/04)

日本100名城、35番目の訪問は岩村城である。

岩村城は、鎌倉時代に遠山氏により築城され、戦国時代まで遠山氏が城主
であった。

戦国時代になり、武田信玄が美濃に勢力を伸ばしてきたら、当時の城主当
主の遠山景任は、武田氏に属しながら、織田信長の叔母をを娶るなどして
両方に属しているという微妙な関係を保っていた。

遠山景任が亡くなると、織田信長の叔母であるおつやの方が城主となり、
岩村城は織田方に属することになる。

その後、武田信玄が家臣の秋山信友に岩村城攻めを命じると、最初はよく
耐えていたおつやの方も劣勢になり、秋山信友の嫁になることを条件に降
伏してしまう。

織田方が岩村城を攻め落としたとき、怒った信長が叔母であるおつやの
方を処刑したという逸話がある。

実在が怪しまれている大河ドラマの女城主と違い、この岩村の女城主は
本当に実在したということである。

そんな岩村城はJR恵那駅で明知鉄道で乗り換え、岩村駅で降りる。
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駅から岩村城に行く場合、電車が1~2時間に1本しかないため、帰りの時
刻表を気にしておいたほうがいい。
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岩村駅。
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こんな小さな駅ではあるが焼肉屋がくっついているという珍しい駅である。

駅前にある地図を見て岩村城の場所を確かめる。
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城下町に差し掛かる。
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古い町並みをひたすら山の方面に行く。
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岩村藩の藩主邸。
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藩主邸には岩村歴史資料館があり、ここに100名城スタンプが設置されている。
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スタンプゲット。
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資料館を見たあとは、城に向かう。
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岩村城。
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天守閣から700m地点。
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600m地点。石畳続くので歩きやすい。
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最後の山道。と言っても歩きやすい道である。
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岩村城の石垣。
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岩村城の天守閣跡。
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岩村城からの見晴らし。
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岩村城データ
別名霧ヶ城
城郭構造梯郭式山城
天守構造
なし
築城主遠山景朝
築城年1221年(承久3年)以降(鎌倉中期)
主な改修者河尻秀隆、各務元正
主な城主遠山氏、森氏、大給松平氏
廃城年1871年(明治4年)
遺構石垣、郭、井戸、移築門
指定文化財
県指定史跡
再建造物
藩主邸
位置岐阜県恵那市岩村町(北緯35度21分35.75秒 東経137度27分3.68秒)
交通手段明知鉄道岩村駅下車徒歩20分
スタンプ岩村歴史資料館受付窓口(月曜休館)



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[ 2017年05月27日 03:29 ] 岐阜県 | TB(-) | CM(0)

日本100名城訪問記 その10(岐阜城 2016/10/24)

日本100名城、10番目の訪問は岐阜城である。

岐阜城がある金華山は、元々稲葉山と呼ばれ、その山頂に斎藤氏が城を築
き稲葉山城と呼ばれた。

美濃の蝮といわれた斎藤道三は、元々一介の油売りであったが、様々な謀
略により、美濃の太守となり、その後、息子の斎藤義龍との長良川の戦いで
戦死し、その義龍もその後急死しその息子の龍興が継ぐが、稲葉山城の戦
いで織田信長に破れ、信長が稲葉山城主となり岐阜城という名前に改めた
という。

そんな岐阜城の最寄り駅は、JR岐阜駅、もしくは名鉄岐阜駅となる。

この日は、彦根から東海道本線で大垣まで行き、名古屋行きに乗り岐阜で降りた。
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駅を降り、「信長ゆめ階段」を下る。
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金ピカの信長像。
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12番乗り場のバスに乗る。写真は織田信長バス。
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長良橋というバス停で降りた。15分程度乗って210円。
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その前の岐阜公園歴史博物館前で降りてもよい。

金華山のてっぺんに豆粒のようにみえるのが岐阜城。
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アップの写真。
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菊の季節だけあり菊花展をやっていた。信長と濃姫か。
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金華山には歩いても行けるが、この日は、このあと、犬山城にも行く予定だったので
ロープウェーを使った。
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ロープウェーの往復券は1,080円。
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1年半ぶりのロープウェイ。この日は平日なので並ばずに乗れた。
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ロープウェイの中では、ガイドのお姉さんが岐阜城について解説してくれる。
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5分ほどで山頂に到着。
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ロープウェイ乗り場から、なだらかな山道を更に歩かなければならない。
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天守閣近くでは階段で登らなければならない。
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岐阜城到着。
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200円払うと岐阜城に入ることができる。
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信長の肖像画。
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こちらは斎藤道三。
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こちらは斎藤義龍。
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岐阜城から見た長良川。
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スタンプは岐阜城資料館に設置されている。岐阜城の200円のチケットで入ることができる。
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スタンプゲット。
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岐阜城資料館には甲冑や刀などが展示されている。
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まさか、1年半という短期間に岐阜城に2回も来るとは夢にも思わなかった。
これも100名城スタンプに出会ったからである。

このあと、11番目の100名城、犬山城に向かう旅好きおやじであった。

岐阜城データ(Wikipediaより)
別名稲葉山城、金華山城、井口城
城郭構造山城
天守構造
不明・非現存
独立式望楼型3重4階(RC造復興・1956年再建)
築城主二階堂行政
築城年1201年(建仁元年)
主な改修者織田信長
主な城主斎藤氏、織田氏
廃城年1600年(慶長5年)
遺構曲輪、石垣、土塁、堀切
指定文化財国指定の史跡
再建造物天守、門
位置岐阜県岐阜市(北緯35度26分2.66秒 東経136度46分55.97秒)
交通手段JR東海道本線「岐阜駅」から12番または13番バスのりばでバスに乗り15分「長良橋」で降り、ロープウェイ乗り場まで3分
スタンプ岐阜城資料館



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[ 2016年11月12日 03:59 ] 岐阜県 | TB(-) | CM(0)

JR岐阜駅の裏側

私は城とかに行くのが好きなので、今年は中部地方に出かけたついでに、
岐阜城に行った。

岐阜城から帰る際、行く時に利用した名鉄岐阜駅ではなく、JR岐阜駅で下りた。
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岐阜は、信長がこの地を制圧したあと、十年以上も拠点をおいた場所なので
このように像がたってある。
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普通は、銅像が立つものだと思うのだが、金ピカ像。

アップでもう一度。
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割と新しい感じの駅である。
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裏側に回ってみることにした。
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歩いている客層とか、先ほどの駅の表側と違い雰囲気がガラッと変わった。
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海外に行った時に、アレ?ここヤバイんじゃない?と雰囲気ガラッと変わる
裏路地にでも入った感覚に似ている。

駅から1~2分もしないところに風俗の案内所がみえた。
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金津情報?
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そういえば、日本で吉原につぐ規模のソープ街の名前が金津園といったような。

そう、JR岐阜駅の裏側は巨大ソープ街、金津園なのである。

よく、都心の中規模の駅の近くに駅前ソープみたいな、大衆ソープランドがある
が、ここJR岐阜駅の駅前ソープは日本最大の駅前ソープということになる。
(日本最大の吉原の場合、駅から離れているので)

ソープ街に町工場も。穴・プレス。ソープ街で見ると意味深である。
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適当に散策してみた。
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やはり、ソープ街でカメラ撮影というのはやりにくい。
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こんなところに金津園があったのかと、一つ謎が解けた気分で岐阜駅に戻る
旅好きおやじであった。

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[ 2015年09月22日 04:27 ] 岐阜県 | TB(-) | CM(0)
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プロフィール

旅好きおやじの日記

Author:旅好きおやじの日記
職業はIT関係です。
趣味は海外旅行(22カ国制覇)、読書、資格取得です。
取得した資格は以下のとおりで、半分趣味のようになってます。

・情報処理
 ・ITストラテジスト
 ・システム監査
 ・プロジェクトマネージャ
 ・アプリケーションエンジニア
 ・テクニカルエンジニア(システム管理)
 ・テクニカルエンジニア(データベース)
 ・ネットワークスペシャリスト
 ・エンベデッドシステムスペシャリスト
 ・情報セキュリティアドミニストレータ
 ・情報処理一種
 ・情報処理2種
 ・情報セキュリティマネジメント
 ・ITパスポート
 ・情報処理安全確保支援士試験合格
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